ブラジルのコーヒーと日本人 [歴史]




コーヒーの世界的な産地のひとつ、ブラジル
そのブラジルには多くの日本人が移住しました。
その数、およそ25万人です。
そして、その約8割がコーヒーの栽培に従事しました。
ブラジルのコーヒー栽培の発展に大きな寄与をしたのではないでしょうか。

移住の歴史は明治41年に「笠戸丸」が神戸港を出航したときに始まりました。
戦前には神戸に「国立移民収容所」がつくられ、移住は本格化しました。
石川達三の「蒼氓」は、そんな移住者たちを描いた小説です。

3年前の2008年、ブラジル移住100周年を迎えました。
それを機に、旧移民収容所は「海外移住と文化の交流センター」として
様々な資料が展示され、一般に開放されています。

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今、私たちがブラジルのコーヒーを飲めるのも、
そうした先人たちの苦労があったからではないでしょうか。




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コーヒーの輸入、禁止 [歴史]




日本の近代的自由貿易は、江戸時代末期の日米修好通商条約の調印とともに始まりました。
アメリカに続いて、オランダ、ロシア、イギリス、フランスとも同様の条約を結び、
横浜や神戸などの港が開港されたのです。
それと時を同じくして、コーヒーの輸入も始まりました。


コーヒーが日本に入ってきてから、ゆっくりとではありますが、徐々に国民の間に広がっていきました。
しかし、太平洋戦争が始まり、コーヒーは「贅沢品」そして「敵国の飲料」というレッテルを貼られました。
そして昭和19年には輸入が禁止されたのです。

戦争というものは、そもそもそういうものなのでしょうが、
「敵国の飲料」だから飲むな、なんて無茶苦茶ですよね。

それにしても、コーヒーの輸入が禁止されていた時期があったのですね。
その間、人々はどうしていたのでしょう。
ま、戦争期は食べ物自体が不足していましたから、コーヒーがどうなろうと、多くの人は問題にもしなかったのかもしれません。

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終戦を経て昭和25年に、コーヒーの輸入は再開されました。
その10年後にはインスタントコーヒーが世に生み出され、
その翌年には貿易自由化で日本にコーヒーブームが沸き起こりました。



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インスタントコーヒーの発明者 [歴史]


みなさんはインスタントコーヒーはお好きですか?
コーヒー好きの人は、少なからずお世話になっているのではないでしょうか。

さて、このインスタントコーヒー、できたのはいつ頃のことなのでしょう。

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それは、1899年のことです。
発明したのは、なんと、日本人なのです。
ちょっと驚きませんか? パパねこはかなり驚きました。
この前、インスタントラーメン博物館に行ったのですが、
このインスタントラーメンの発明には、うなるような、そして感心してしまうような、
ひらめきや苦労、工夫と努力がありました。
同じように、インスタントコーヒーの発明にも隠されたエピソードがあるのでしょう。


この発明をしたのは、加藤サルトリ博士。
ヘンな名前ですね。
コーヒーを液化して、真空蒸発缶に入れて水分を除去し、
粉末にするという方法によるインスタントコーヒーです。
加藤博士は、シカゴで加藤照会を設立し、インスタントコーヒーを売り出しました。


しかし、彼は特許をとっていませんでした。
1903年にジョージ・ワシントンという人が、別の方法によるインスタントコーヒーを作り、
しっかり特許をとりました。
というわけで、加藤博士は幻の発明者になってしまったのです。



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