マイセンのカップ [歴史]

マイセンのカップ



この前、フリードリッヒ大王がコーヒー禁止令を出した、という記事を書きました。

その続き、というかそのときのエピソードです。

フリードリッヒ大王はコーヒーを禁止するために、医者に「コーヒーは身体によくない」と吹聴させたそうです。大王といわれるわりには、姑息なことをしますね。

そんな中、富裕層の人たちは、逆に高価なコーヒーカップや銀器を手に入れることで、自らの富を誇示しようとしたのです。
しかし、コーヒー自体が品薄であるため、いくらお金があっても自由にコーヒーを飲むことはできませんでした。
だから、コーヒーをお湯で薄めて飲んだのです。
当然、コーヒーの色は薄いですよね。
そこでカップの底に絵柄をつけたマイセンのカップが流行ったのです。
ハイソな人たちはそんなコーヒーを「小花コーヒー」と呼んで楽しんでいました。

こういう権力ヘの反抗の仕方って、何となくドイツ人っぽくない話のような気がしますけど……いつの時代もそういうことってあるんですよね。


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イギリスのコーヒーショップの始まり [歴史]

イギリスのコーヒーショップの始まり



ロンドンに初めてコーヒーショップができたのは、1652年のことでした。

ロンドンの貿易商がトルコから連れ帰ったパスカ・ロゼにコーヒーを淹れさせ、
お客にも振舞ったのが大評判になり、コーヒーショップをオープンさせたのでした。

異国の飲物であるという珍しさと、独特の風味とが有効に作用し市、大いなる賑わいをみせたということです。
その後10年で2000軒ものコーヒー店が林立したというのですから、
ロンドン子の新し物好きってすごいですね。

1652年といえば、日本では関が原の戦い、大阪の陣が終了し、ようやく徳川幕府の基礎が固まりつつあった時代です。
そんな昔のことですが、新しい文化の定着、発展の仕方って今とほとんど変わらないのですね。
まあ、さすがに今では情報も交通も比べ物にならないほど発達していますが、
基本的なところでは、変化の仕方って今も昔もあまり変わりませんね。

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と、ここまで書いて疑問が1つ。
イギリスは紅茶の国。コーヒーより、紅茶というイメージが強いのですが、
コーヒー人口も多いのかな?


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カフェ・グレゴ [歴史]

カフェ・グレゴ


その昔、喫茶店は社交場であもありました。

1760年、イタリアのローマに「アンティコ・カフェ・グレゴ」が開店しました。
今では重要文化財に指定されているローマではもっとも古い喫茶店です。

さて、その当時、喫茶店は社交場でもありました。
多くの芸術家や著名人が集まったようです。

ロッシーニ、リスト、ワーグナー、メンデルスゾーンがこの喫茶店を愛したそうです。
音楽家以外では、スタンダール、ゲーテ、アンデルセン、イプセンなどの人々も訪れたということです。

芸術を信奉する人たちも、けっこう新しいもの好きで物見高かったりするのですね。
そういうのって、ちょっと親しみがもてます。

いつか、行ってみたいな。

ところで、倉敷には「エル グレコ」という喫茶店があります。
大原美術館の隣です。
蔦が絡まった外見がとても素敵な風格ある喫茶店です。
店内も結構、趣があります。
ローマの「アンティコ・カフェ・グレゴ」と関係があるんだろうか?
多分、ないのだろうな。
倉敷の「エル グレコ」は、受胎告知を描いた画家の名前の方だろうとパパねこは愚考するのです。
だって、美術館の隣だから、という単純な理由で。


UCCが販売している「カフェグレコ」はこの老舗と関係はあります。
ライセンス契約を結び、ハイグレードの商品にしたということです。

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