世界初のコーヒーハウス [歴史]

1554年、ダマスカス(現シリア・アラブ共和国)出身のシェムジと、
アレッポ(現シリア・アラブ共和国)出身のヘケムが、
トルコのコンスタンティノープル(現イスタンブール)のタクタカラ
と呼ばれる界隈に、それぞれコーヒーハウスを開業しました。
この2店が世界最初のコーヒーハウスと言われています。

両店とも調度品と装飾に凝り、居心地は抜群で、
社交の場としてトルコ人の熱狂的な支持を集めました。
以後、トルコではコーヒーハウスが急増し、
コーヒーはあらゆる階級に大歓迎されていきます。

人気が高まるにつれてコーヒーハウスはますます豪華になり、
深々と絨毯が敷かれ、サロンも併設されるようになりました。
そこには、様々な国の商人や旅人、官職を求めて地方からやってきた
法官、裁判官を目指す若者、官廷の役人などが訪れ、
コーヒーハウスは「賢者の学校」とも呼ばれるようになったのです。

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国家経済としてのコーヒー問題 [歴史]



プロシアのフレデリック大王がコーヒー禁止令を発令しました。
1777年のことです。
別にコーヒーを憎んでいた暴君というわけではありません。
フレデリック大王はむしろコーヒーが大好きだったのです。


プロシア=ドイツは当時植民地を持っていませんでした。
コーヒーの消費の増加は、プロイセンの国際収支の悪化を招きました。
しかも、ビールの生産量も減ってしまい、国家経済の危機に瀕したのです。


そこで大王は、好きなコーヒーに重税をかけ、自らは率先してビールを飲むようにしたのです。
王様ともなると、自分の好みも我慢しなければならないなんて、大変ですね。
王様でなくてよかった。

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しかし、そんなフレデリック大王の健気な努力にもかかわらず、
コーヒーの愛飲者は減らなかったというのです。
可愛そうですね、フレデリック。(大王の呼称は略)

次にフレデリックが採った手は、王室以外でのコーヒーの焙煎を禁止するというものでした。
その結果、社会の上流階級のみがコーヒーを独占するようになり、
王室は莫大な利益を手にしたのです。


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ブラジルの珈琲事始 [歴史]

コーヒーの産地として有名なブラジル
多くの日本人がブラジルに移民し、コーヒー栽培にたずさわった歴史もあります。
それほどブラジルのコーヒー生産は規模が大きいのですが、
コーヒーの起源をたどればイスラム圏にいきつくわけです。
では、歴史のどの段階でブラジルとコーヒーがクロスするのかと疑問を感じませんか?



パルヘッタというポルトガル人がいました。
パヘッタがフランス領のギアナを訪れたとき、新しい飲物であるコーヒーに目をつけたのです。
ギアナからコーヒーを持ち出すことは禁じられていたのですが、
パルヘッタはお偉方のご夫人に取り入り、コーヒーの種と苗木を国外に持ち出したのです。
権力者の周辺に取り入って、法を犯すというか、網の目をくぐりぬけるのは、
今も昔もかわらないようですね。


そしてパルヘッタはその種と苗木を持って、当時ポルトガル領だったアマゾン川河口のパラという町に帰任したのです。
パラで始まった小規模なコーヒー栽培が、やがてブラジル全土に広がっていったのです。
1727年の出来事です。

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密輸で始まったことが、ブラジルの一大産業になっていくのですから、おもしろいものですね。


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