フランスでの画期的な発明 [歴史]

フランスでの画期的な発明


トルコからヨーロッパに広まったコーヒーですが、
フランスでは画期的にコーヒーが変わりました。
簡単に言えば、より現在のコーヒーに近づいたのです。

それはドリップ式の考案です。
ポットの中にたらした布袋にコーヒーの粉を入れて、熱湯を注いで浸透させるのです。
それまではコーヒーを煮出して飲んでいたのです。
この方式を考え出したのは、コーヒーとは特に関係のないブリキ職人でした。

これはコーヒーの歴史の中でも画期的な発明です。
このドリップ方式は、今ではコーヒーのスタンダードな淹れ方になっています。

イギリスにコーヒーが入り瞬く間に喫茶店が数多くできたのですが、
それらは従来の煮出して飲むターキッシュ・コーヒーだったのです。


さすが 食の国・フランス ですね。
何でもないブリキ職人がドリップ方式を生み出したというところに、
フランスの食文化の深さを感じないわけにはいきません。

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それから、どうでもいいことなのだけど、件のブリキ職人は自分の発明で大儲けしたのだろうか。
それとも、アイデアを出しただけで終わってしまったのだろうか。

このブリキ職人は果たして美食家だったのだろうか、

色んな疑問がわいてきます。

コーヒー離婚 [歴史]

コーヒー離婚


トルコのイスタンブール。
この都市は、世界で最初にコーヒーハウスができた街です。
それだけトルコとコーヒーの関わりは深く長いということができるのでしょう。

時は16世紀から17世紀にかけてのことです。
コーヒーの歴史で言うと、トルコから始まり、徐々にヨーロッパに広がっていった時期です。

トルコでは妻が夫にコーヒーを飲ませてもらえなかったら、離婚が成立したのです。
これは法律で決まっていたことなのです。
えっと、要するに、夫たるもの、妻にコーヒーを飲ませなければならなかった、ということですね。
違いますか?
多分、そういうことなんでしょうね。


どうしてそのような法律が定められたのでしょう。
それほど女性がコーヒーを欲していたのだろうか。
当時のトルコでは、コーヒーというものはどういう位置をしめた飲物だったのだろうか。

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疑問は山のようにあります。
次から次へと沸いてきます。

それにしても、ほんまかいな と思わせる事実ですよね。

神戸とコーヒー [歴史]



神戸は日本でも有数の港町です。
コーヒーの荷揚げ量が一番多いのは横浜港、二位は神戸港です。
阪神・淡路大震災の前までは、神戸が日本で一番だったそうです。
UCCをはじめ、コーヒー企業が神戸に多いのもうなずけますよね。

また、神戸は幕末から外国人居留地として多くの外国人
が住んでいました。それと同時に外国の文物がいち早く
入ってきた町でした。そして神戸の人々はそうした新しい
外国の文物を生活の中に取り入れていました。
そんなことから、神戸ではコーヒー企業や喫茶店が多かったり、
コーヒーの消費量が多かったりするのでしょう。

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タグ:神戸 UCC

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